学生時代に付き合った手塚国光との交際は気が付けばかなりの年数が経っていた。国光のことが好きで好きで、試合の応援に通い詰めた日々を思い返すと、まさかこんなことになるとは思いもしなかった。毎年定期的に開かれるテニス部OBの飲み会に混ぜてもらうのも恒例化して、OB連中とも長い付き合いになった。今日も菊丸の結婚祝いという名目で、ただ飲みたいだけの見慣れたメンバーが集まる会が開催されているが、国光の姿はない。と、いうか社会人になってから国光がこの会に参加すること自体がもはや稀になりつつあり、もともとは無関係である私が一人で参加している状態だ。


「相変わらず来ないね手塚、後で行くってぜってー来ねーやつじゃん、何がそんなに忙しいわけ?」

「それが私も知らないんだよね」

「いや、何でお前が知らねーんだよ」


主役の菊丸は序盤からハイペースでアルコールを摂取していたせいか、上機嫌で皆に絡んでいく。軽口を叩かれようが、私は本当に国光が何故そんなに忙しいのか知らないのだ。

今は私も冗談で「知らない」と返せるようになったけど、社会人になって間もない頃は極端に連絡が減ったことで揉めたこともある。揉めた、と言っても昔から国光の方から私を責めることはなく、私が一人で喚いて、国光はいつも理解できない、って顔をして、私が諦めて、終わり。「たまの休みに会ったり、夜電話することがそんなに難しいのか」と責める私に国光は、自分のタイムスケジュールと現在進行中のプロダクトの説明をしただけだった。昔と変わらず彼が優秀なのだということ以外私には何も理解出来なかったけど、「そういうことじゃない」という言葉は飲み込んだ。私が国光を好きで好きで仕方ないから、分かり合うことはずっと諦めてきた。嫌いになれないのだから、そういうところも好きなのだと受け入れるしかない。


「お前ら付き合って長いけどさ、案外あっさり終わっちゃったりして」

「縁起でもないこと言わないでよね」

「社会人なったらダメになったってパターンよくあるじゃん」

「アンタみたいに可愛い後輩社員に手出して妊娠させて逃げ切れず結婚ってパターンもよくあるよね」

「言うなってー」


慣れたくもないいじりにも、慣れてしまった。一時期は国光との温度差をからかわれることが苦痛に思ったこともあったけど、このコミュニティすら失ってしまったら、私と国光は本当に簡単に切れてしまうんじゃないかと不安になった。少なくとも「手塚いじり」をされている間は、私たちの関係は客観的に肯定される。そして国光がそれを容認している間は彼女でいることを許されているのだと思えば、昔からデリカシーのない菊丸の発言も必要悪なのだと思えるようになった。


「結婚の話とか、出ないの?」


いつから聞いていたのか、さらりと会話に割り込んできた不二が微笑む。不二には下手に取り繕おうとどうせ見透かされてしまうので、見栄を張れば余計に恥をかく。「出ない」と答える他ないと、改めて悲しくなる。きっと皆悪気なんてなくて、彼の人間性を受け入れて、信用しているからこそ、笑えるんだろう。何年経っても私だけがその領域に行けずにいる。一番信用しなければいけない私が、いつまでも彼を信じられずにいる。



「茶化すな、不二」


頭上から、するはずのない声が降ってくる。


「あ、ご本人登場、おつかれ」

「遅くなってすまない」

「で、どうなんですか、ご主人」

「俺が待たせているんだ、彼女を責めるのはやめてくれ」

「あ、そうなんだ、ごめんね?」


不二はあっさりと引いて見せるが、私はさぞ間抜けな顔で国光を見上げていたに違いない。フライドポテトを食べるためにあけた口を閉じられずに、まさに一時停止状態を続けている。そんな私をまた国光も不思議そうな顔で見つめ返している。


「詰めてくれ」

「あ、ハイ」


ソファ席を少し詰めると、窮屈そうに国光が私の隣に腰掛ける。


「え!手塚来てんじゃん」

「今公開プロポーズがなされたところだよ」

「は?主役俺だから、やめろって」

「は?一体なんだ公開プロポーズって」

「今したでしょ」

「してない、俺の収入と生活が安定するまでは出来ないから待たせていると言っているんだ」



「いや、聞いてないよ」と、思わず私も会話に割って入る。国光は、当然とばかりに堂々と「俺は結婚を前提に付き合っているとずっと思っていたが?」なんて言っている。私の先ほどまでの不安と葛藤をよそに、勝手に話が進んでいく。喜びとも驚きとも違う得体の知れない何かがこみ上げて涙が溢れそうになる。


「お前は違ったのか?」と真っ直ぐに見つめられて私は思わず下を向く。返事をしたら、泣いてしまうと思った。


「いや今日主役俺だってば」と菊丸に小突かれて、分かってると強がって言い返したけど、私は堪えきれず泣き出した。相変わらず国光だけは、意味が分からないという表情で眉をしかめている。どこまでも憎らしくて愛おしいこの男との不安な日々はまた続くのだろうけど、やはり離れられるわけがないのだと私はまた強く確信した。




ただしいあなた