「えらい大人しくなっちゃって」 「抵抗すんの無駄な努力だなって思って」 「ほんとにヤだったら俺、無理矢理の趣味はないけど?」 「それズルくないですか、こんだけ押しといて最後は同意の上に持ち込むとか」 「ごめんごめん、まー人には言わねーから。広まる分には責任持てないけど」 「わたしももちろん言わないですけど、否定はさせてもらいますよ」 「いいよ?俺は、俺からってことで」 慎吾さんは手馴れた様子でわたしのブラウスの下に手を潜り込ませてお腹の辺りをまさぐりながらキスをした。胸のあたりでもぞもぞと動いている手は、気持ち良いというよりはくすぐったいの方が大きくて、逃げるように慎吾さんの胸を押して体を引こうとすると、慎吾さんは逃がさないというように私の腰を引き寄せた。思わずまた逃げそうになったけど、体に思うように力が入らないことに気付く。口内でぬるぬると動く慎吾さんの舌はまだアルコールの味を帯びていて、自分は随分冷静なように思っていたけど、彼と同じように随分の量のお酒を飲んでいたことを思い出す。 慎吾さんに対して、断じて恋愛感情は持っていないと言えるのに、こうして唇を重ねることや直の肌に触れられることに、意味さえ分からないけど、生理的な嫌悪感を抱かないのはきっと彼の経験からなされる一種の技のようなものだと思う。今まで慎吾さんに軽率に抱かれては泣きを見る女達を見ては、意味が分からない、と思っていたけど、当事者となってみた今では、なるほど、とすら思える自分がいる。 ゆっくりと体がベッドに倒されて、そこで本当に全てどうでもよくなった。頭の中だけが妙に冴え渡っていて、別れ際の準太の笑った顔だとか、陽気な笑い声ばかりが浮かんでいて、一層わたしの抵抗力を奪った。 べろんべろんに泥酔した利央を抱えながらカズさんは先に改札に入ってしまって、「終電だからお前ら早く歩けよー」という呼びかけに、準太は「うぃーす」と返して、自分もおぼつかない足取りのくせに、「大丈夫かあー」なんて言って来た。 正直わたしもかなりの量のお酒を飲んでいて、居酒屋での中盤の記憶はほとんどない。どういう経緯なのか気が付けば、一人で歩けないほどフラついているわたしの腕を抱えているのは慎吾さんだった。 改札前で定期を出そうと鞄を探っていたのだけど、働かない頭に朦朧とした意識の中でいつもなら、すぐ取り出せるよう鞄の内ポケットに入れているということぐらい分かっているのに、「ない、ない」なんて言いながら鞄を引っくり返していた。 最終電車です、というアナウンスと共に急かすようなベル音が鳴っているというのにわたしは鞄を引っくり返し続けていた。「慎吾さーん、ー、電車出るっすよー」と準太が改札の内側から叫んでいて、わたしに付いて改札に入らずにいた慎吾さんが「タクシーで送ってくわ、なけりゃ最悪俺ん家近いし」と言っていた。 勝手に話が進んでいることに焦りを感じたものの、働かない頭から搾り出される言葉は「待って」とか「あの」とか力の無いものばかりで、わたしの意思は伝わらないまま、まじすか、じゃあ頼んます、と準太はあっさりと承諾して背中を向けた。 「最悪食っちゃうかもしんないけどいいー?」という慎吾さんの悪ふざけに、恐らくわたしと同じように頭など働いていないであろう準太は、ドーゾドーゾと笑っていた。準太のその一言で一気に酔いは覚めて、鞄の内ポケットの存在を思い出す。あ、定期あった、というマヌケな私の声と共にプシュウ、と最終電車のドアは閉まった。 「無理です」と「お願い」のやり取りはあったものの、結果的にわたしは自分の意思で慎吾さんの家に上がってしまいこうなっているのだから、残念ながらこの時点でわたしにも罪がある。そう思うと抵抗することも虚しくて、何よりも引き止めてくれるどころか、ドーゾドーゾと簡単にわたしを差し出した準太のことを思うと、ああそうですかじゃあヤってやりますよ、とヤケになってしまって、慎吾さんの思うツボだよなあとは思っていても流されて楽になりたかった。 準太には聞かれてもヤってないって言ってやるからさ、という慎吾さんは悪魔のように思えた。わたしの気持ちを知っていて、準太がわたしのことを友達としか思っていないことも知っていて、なんて酷い人だ、そしてそんな最低な人に抱かれているわたしは何だと言うのだろう。 「大丈夫だって、付き合おうとか言わないから」 「それっておかしくないですか?逆に責任取るのが筋じゃ?」 「え、俺はが付き合いたいなら全然付き合うよ?」 「絶対嫌です」 「でしょ?お前はずっと準太だもんな」 準太のことがずっと好きだった。高校の時に伝えられなかった思いは、部活がなくなって大学に入って忙しくなれば自然と消えてくれるかと思ったのに、悲しいかな野球馬鹿のわたしも準太も考えることは同じで、馬鹿みたいに同じ大学で馬鹿みたいに同じ野球サークルに入った。思いは消えるどころか、交友関係が広まってみればわたしの中で準太のかっこよさだとか優しさだとかは際立つばかりで、報われることの無い片思いは続いた。準太がわたしのことをそんな風に見ないことはなんとなく分かっていて、だからと言ってやめようと思ったってやめられなくて、不毛な関係に嫌気が差していた。慎吾さんに付け入られる隙を作っていたのはわたしだ。 「…付き合う?順番違うけど」 「いいですってば、気遣ってくれなくて」 わたしの涙を拭いながら、俺付き合ったらちゃんと好きになるよ、と言う慎吾さんにもう一度だけ断って、続けてください、と言った。流石に泣いているわたしを前に続ける気が失せたのだろう、慎吾さんはゴロンとわたしの横に横になって「ごめんごめん」と言ってわたしの頭を撫でた。アルコールのせいもあるのか一度溢れ出した涙は止まらなくて、泣きじゃくるわたしの頭を慎吾さんはぽんぽん、と優しく撫で続けた。 冷静になった準太は、わたしを慎吾さんに引き渡したことを少しでも後悔するだろうか。 埋まらないイデア |