「駄目です、これは」


日吉は掌で私の口を覆って顔を背けた。精一杯ではあったけど確かな拒絶を汲み取った私は大人しく腰を引いた。日吉の優しさに甘えていたけど、この子は、最初からこういう子だった。そう思うと自分のしたことに対する小さな後悔が沸いてきて私も日吉から目を逸らした。



一から十まで悪いのは私だというのに、こんな時まで日吉は自分が悪いことをしたかのようにばつの悪い顔をして、「惹かれるけど、これ以上は駄目です」と言った。いつだって一生懸命で慣れない行為に顔を赤らめて、でも大切そうに私に触れるのが可愛くて、癒されて、ついちょっかいを出した。というか、元々は腹いせだった。浮気ばかり繰り返して少しの誠実さも無い彼氏と、そんな奴の言いなりになってやめられない自分にムカついて、部活の後輩である日吉にその不満をポロっと溢したらあんまり真剣になって聞いてくれるものだからつい気分が良くなって調子に乗った。


部長の引継ぎで忙しくしている日吉を、マネージャーとしてサポートしているということにしておけば私達が二人で部活後に居残ることも休み時間に頻繁に会うことも違和感がなかった。冷静になって考えると私達の会う頻度はどう考えても不自然だったけど、相変わらず自分のことで忙しい彼氏は私の異変には何も気付かない。当たり前だけど我慢ばかりの彼氏との付き合いよりも、日吉との密会の方が楽しくて私はすぐに夢中になったし、日吉の好意を確かに感じていた。密会と言ったって私たちは本当に部活の話をしているか彼氏の愚痴を聞いてもらっていただけで、私たちの間に何かが起こったわけではなかった。一度だけ躊躇いがちに手を繋がれて、長らく味わっていなかった甘酸っぱさとかこそばゆさが嬉しくて、日吉とのこの距離感を楽しんでいたくて私はこの時間を大切にしていた。かと言って彼氏とは別れられなくて呼ばれれば会いに行ってしまう自分がいたし、「行って下さい」と少し悲しそうに言う日吉にひどく心が痛んだけど、何故か置いていけるのは日吉の方だった。自分でも心の奥では分かっていた、日吉のことは単に心のより所として都合よく利用しているだけで本当は彼氏を捨てる勇気なんてないことを。気付かないフリをして、このまま本当に日吉の方を好きになれたら、そう思って一線越えてしまおうとした。自分にも日吉にも言い訳するように唇を寄せようとした私を日吉は拒否した。きっと私の思惑もズルさにも気付いているのだろう。それでも私を責めたりしない日吉に申し訳なくて恥ずかしくて黙ることしか出来なかった。




「先輩、俺のこと好きですか?」




好きだ、当然、優しくて真っ直ぐな日吉のことが大好きだ。なのに、あまりにその気持ちはあまりにも軽くて真剣な日吉を前に私は返事が出来なかった。終わってしまうんだろうか。そう思うと好きだと言って今度こそ無理にでもキスをして日吉のことを繋ぎ止めたいと思うのに、今日吉を手放してしまうのが惜しいと思う気持ちと、彼氏がくだらない浮気を繰り返すことがどうしようもなく似ている気がして、あまりに不誠実な感情を前に私は情けなく涙を流すしかなかった。
全てを悟ったかのように日吉は優しく微笑んでいたけど、下を向いた私の顔に掛かる髪を優しく耳に掛けると小さく吐き出した。



「もう、無理です」




思わず顔を上げたけど、すぐに滲んだ涙が視界をぐしゃりと歪めた。空気を読まない携帯電話がポケットの中で震えている。このしつこい着信の相手が誰なのかは分かっている。どうしてこんなものが捨てられないのだろう。悲しくて涙が止まらないのに、私の今の行動こそが、その答えだ。











05. それなのにしあわせで、どうしようかとおもってた