「婚約破棄」なんて字面だけは大層だが、実際のところまだ法的にはなんの効力もなく、ただその時付き合っていた恋人と離別するというだけのなんてことない話だったのだと、当事者となった今では思う。


学生時代から付き合っていた丸井ブン太と私は結婚する予定だった。つもりでいたのは、今思うと私の方だけだったのかもしれない。


学生時代にはチヤホヤされて強気だった彼も20代半ばになってからは随分丸くなって、学生時代に頭がおかしくなるほど繰り返した激しい喧嘩もなくなった。ブン太ももう声を荒げて私を束縛することもないし、私も変わらず異性受けの良い彼に身がちぎれるような嫉妬心も抱かない。仕事にも慣れてきて、そろそろそういう時期だろうと2人で決めたはずのことだった。「俺貯金ねーけど」と笑う彼に、「これからボーナスは私が管理する」なんて冗談まじりに返して、未来に想いを馳せた。昔のような情熱的な感情はなくとも、彼と一つの新しいスタートをまた迎えられることが嬉しかった。


「軽い気持ちで言ったけど、やっぱ俺結婚とかまだ全然考えらんねーわ」


彼の一言で全てが無に返った。

自由が惜しくなったのか、私の何らかに不満があって思い直したのか、詳しい理由を聞くには至らなかった。言い訳のような何かを聞いた気もするけど思い出せない。私は数年ぶりに彼を泣きながら罵倒して、結婚どころか恋人としても関係を続けられなくなった私たちはあっさりと別れた。


喜んでくれた友人や家族への報告、会社の手続きの撤回、両親との会食のレストランのキャンセル、金銭的な実損はほぼないものの、一つ事を片付けるたびに酷く情けない気持ちになり、精神的に随分ダメージを受けた。何よりブン太を失ったことが辛かった。裏切りによる憎しみはあれども、やっぱり喪失感や寂しさの方が辛くて、自分の何がいけなかったのか、どこで間違えてしまったのか、そんなことを考えて数ヶ月過ごした。


傷も段々と癒え、憎しみや悲しみから解放されたと思った頃にまたブン太から連絡が来た。一緒に当時よく聴いていたバンドの解散についてとか、どうでも良い内容だった。

彼は私を裏切ったという感覚はなかったのだと愕然とした。あれから気を遣ってくれた友人や同僚から何度も男性を紹介されたけど、結局ブン太との日々を思い返すばかりで、好きだと思える人は現れなかった。


誘われるままに再会を果たして、最後の別れを忘れたかのように楽しく近況を話して、酒の力を言い訳に、のこのこ家に着いて行って彼と寝た。

「なんか久しぶりで緊張すんな」なんて言われて喜んで、いともたやすく彼の罪を許してしまった。


もう一度手に入れた彼との時間は酷く不安定で、月に1、2回誘われるままに会いに行って、酒を飲んで彼と寝る。私たちはもうアルコールという言い訳がなければ自然に寝ることすら出来ない。

未来の話や関係性についての話は言い出せないし、なんとなくそれに踏み込むことはもう一度彼を失うことになる気がしてならなかった。

結婚に焦って彼を失った事をあれだけ後悔したのに、未来の見えない関係に時間だけを消費しているような不安と焦りだけが募っていく。

私と付き合うまでも彼女の絶えなかったブン太のことだから、本当は彼女がいるかもしれない。結婚することになったからもう会えないとか、いつか言われるかもしれない。


結局彼といてもいなくても、私の苦しみはなくならない。解放されたい、でももう離れたくない。

いつか馬鹿なことしたなって後悔して笑える日が来るんだろうか。

今日もゆるやかに自分の首を絞めながら、彼からの連絡を待たずにはいられない。


再会しなければ良かったのか、あの時結婚なんて言わなければ良かったのか、そもそもブン太が「俺ら付き合う?」って言ってきたあの日に、頷かなければ良かったのか。果てしない堂々巡りから抜け出せない。

でも、結局私はどのタイミングに戻れたとしても、丸井ブン太という男を選んでしまうんだと思う。




延長線上の終焉